(セカンドライフへの手紙)

Pers.

2012年01月20日 15:54


被災地で子どもたちと粘土などを使って、在りし日の故郷の町並みを再現するというワークショップが行われたそうだ。
失われたものの記憶をたどり、自分の中で再確認する。それにより衝撃的な負のイメージが少しずつ、溶けていくことにも
つながるという。手を使ってこね上げる粘土の感触に、かさねる思い。そういうものがあるのだろう。
この新聞記事を読み、思わずセカンドライフのことを想起したものの、やはりそれはモニタの中の世界でしかないということ、
感触のない視覚世界にはどうしても限界があるということを、感じずにはいられなかった。

私自身もまだ、「セカンドライフで、今何を?」の答をみつけられずにいる。答などないのかもしれない。
現実世界に重きを置いて、私のセカンドライフは過去の記憶へと沈みつつある。
私事ながら、もうセカンドライフで創作することはやめてしまった。パソコンのスイッチを落とし、スケッチブックを広げる。
自分の手で、ペンで、新しいものを生み出すことに喜びを見いだしている。新しい外の世界へ。

カフェやライブにもよく行く(もちろん仮想世界ではなく)。そこで店の主人やもちろん見知らぬお客たちとも出会う。
セカンドライフでお気に入りの服をさがしたように、デパートへ出かけて自分の服や帽子を買う。
店員と楽しくしゃべったり、そして買った服を着てライブハウスに行き、ゆったりと音楽にひたる。
そこでも出演者やお客と会話したり、自分の絵を見てもらったり、刺激を受けたりする。

つまりセカンドライフで当たり前のようにしていたことを、今はもう(やっと)そのまま現実の世界で実行しているのだ。
初めは不安や緊張感もあったが、思いきってやってしまえば、それはとても楽しく豊かなことだった。
と同時に、かつての自分のアバターと実際の自分の行動が、奇妙にクロスオーバーしていくのは、なんともおかしな感覚。

「セルフブランディング」という言葉がある。アバターではない、私は私を生きる。
3.11.を胸に刻み、そこから新しく出発し、私は「セカンド」でも「ファースト」でも、また「リアル」でさえもなく、
あえて言うなら「オンリー」な人生でいけたらいいな、と思う。

近く、セカンドライフにも顔を出すつもりだ。そしてもし許されるのなら、かつての素晴らしいフレンドさんたち、
たとえばよーまさんねこさんに「お久しぶりです」と言ったそのあと「今度は新宿あたりでおしゃべりしませんか?」と、
そっともちかけてみたいのだけれど‥‥。
ジブン